◎初めは我情我欲の信心が、育ってくるうちに我情も我欲も何もなくなってくる。
%1福岡の渡辺先生のお参り
%2北野江口の深町キリエさんのこと
%3前講久富先生のご祈念だけは親先生と通うという話。
%4親先生の久富先生との出合。
%5久富先生三男の事故死
%H北野にお話にいっておられた頃のこと
昭和四十三年二月十八日 月次祭の御理解
X御理解第十節 「神が社へ入っては、この世が闇になる。」
X御理解第十一節 「神は天地の守りじゃから、離れることはできぬぞ。」
X御理解第十二節 「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神。」
御理解第十節、十一節、十二節を読んでみます。御理解第十節「神が社に入っては、この世が闇になる」。御理解第十一節「神は天地の守りじゃから、離れることはできぬぞ」。御理解第十二節「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神」。御理解第十節、第十一節、第十二節を続けて読みました。私共が、日夜拝まして頂いておる神様の、いわば、御正体なんですね。こういう神様を皆さんが拝んでおる。教祖金光様のお取次によって、そういう神様を皆さんが拝んでおる。
「神が社に入っては、この世が闇になる」。だから、この神様の御守護、お守りを頂いておる限り、この世は闇であってはならないのだけれども、どうでしょうか。この世にはどの位、この世は闇の世だと、悲観しておる人があるか。又、信心をしておっても、この世を、いわば、明るい光の、言うなら、極楽のような世界にしておる人が、幾人あるだろうか。
ここんところをひとつ、今日は頂いていきたい。「神は天地の守りじゃから、離れることは出来ぬぞ」。これは信心があろうがなかろうが、もうなべて、これは人間だけではない。ありとあらゆる生きとし生けるものが、天地の親神様のお守りを受けておる訳でございます。それはいかに心なしの人でありましても、心ないものでありましても、これは、否(いな)むことは出来ません。
天地のお守りを受けているのですけれども。そんなら、そういう天地の親神様のお守りを受けておるのであるから、「安心だ」と言うて、安心の気持を開いておる人が、果たして、世の中にどれくらいあるだろうか。いや信心を頂いておっても、そういう安心のおかげを頂いておる人が、幾人あるだろうか。「神に会おうと思えば、庭の口を外へ出て見よ。空が神、下が神。」とおっしゃる。そういう神様なのです。
いわば、天地そのものそのままが、神様のお姿なのだけれども。 それを、果たして、神様と頂きえておる人が、この世の中にどれ位おるだろうか。この世の中に庭の口に出て見て、「はあ、神様、こんにちは」と言えれる人が、幾人あるだろうか。「神様、どうも、すいません」と、こう神様にお詫が出来れる人が、幾人あるだろうか。
%1最近、福岡の渡辺先生が、毎朝、丁度、皆さんが御祈念から帰られた、ちょっと七時を過ぎた頃に参ってみえられる。今日も、お参りしてからお届けされます中にですね、もう毎日、「その天地」とお話をして来られる。昨日は、まだ残っておる残月、お月さまに向いかけて、「お話をして来た」と言うようなお届けをしておられます。
%1今日は、その日輪さまとお月さまが、こう出ておられる。そのお月さま、その日輪さまを、そのまゝ、天地の親神様のお姿として、拝ましてもろうて話かけるように、又、あちらの話がこちらへ伝わって、あちらの話(笑)、「神様の思いが、お声が、これに聞こえてくるような心持ちで、ここえ通うてまいりました」と、こう言う。
%1「庭の口を外へ出て見よ。空が神、下が神」。そのような神様を、私共頂いておりましても。そこに神様の姿と拝みきらない、見きらない。そこに私共は、信心の稽古がいよいよ必要になってくるのじゃなかろうか。
「神が社に入ったら、この世が闇になる」。決して、こういう、お社の中に、もう、はまってしまいなさる、中へ入ってしまいなさると言う神様ではない。「神が社に入ったら、もう世の中は闇になる」と仰せられる。そういう神様が、私共を見守っておって下さるのだけれども。そういう、いわば闇、そういう光の世界を闇の世界にしておる人が、どの位あるか分からない。
この世はもう苦の世だ、苦の世界だ、もう一寸先が闇の世だと言うて、この世を、そういう風に表現致します。信心させて頂いて、真の信心が段々分かせて頂きますと、明日の事の心配がない。不安がない、心配がない。こういう間違いのない神様に、御守護を受けておるんだ、お守りを受けておるんだと言う事になってくるからなんです。
それが実感として、自分の、日々の体験の上にも表れてくるからなんです。「神は天地の守りじゃから、離れることは出来ぬ」。神様は天地の守りと言うことは、私共、人間だけではない、ありとあらゆるものの上に御守護を下さっておる。その御守護を下さっておることを、御守護を下さっておるとも知らず。自分が生きて、自分が働いて、自分が飲んで、食うておると言うように思うておる。
神様のおかげを頂かなければ、実を言うたら、ここ一寸が動けない私なのだと、私達なのだと。神様のおかげを頂かなければと。そこのところをです、なる程、神様のおかげを頂かなければと言う。私は、実感が頂けてくるようになりますとです。
なる程、神様の御守護をお守りを受けておるんだなあ。これは、しかも人間だけではない。ありとあらゆる森羅万象の中に、生きとし生ける一切のものが、この神様のお恵み御恩恵に浴しない訳にはいかないのだ。
その例えば、例を申しますとですね。力の弱いものには、力の弱いものほどの神様の、この御守護を現わしておられると言うのが、保護鳥とか、保護色を持った生物がおりますでしょう。小さいひきがえるなんかそうですね。青い葉なんかに止まっておると、見る見る間に、真っ青になってしまいます。あれはね、ひきがえるが、ここは青い所だから、俺の体をひとつ青くしょうと言うてしているんじゃない。ひきがえるそのものも知らない。
かえるが竹の角などに止まっておりますと、竹と同一色のような色になってしまいます。黄色くなる。はあ、この竹に止まったから、黄いものに止まったから、一丁、体を黄色くしょうと言うて考えておる訳じゃないのです。そういう例を申しますと、いくらもある。
そういう一動物に到るまでに、神様の御恩恵というものは、あっておるのでございますけれども。それを、只、知らないだけの事。私共の上には、なおさらのこと「万物の霊長」としての、まあ、そう言うて下さるんですね。これは人間が言うたのじゃない。神様が「万物の霊長」として、私共を見て下さるんですから。私共には「心」と言うものが与えられておる。「良心」と言うものが与えられておる。
そこに、私共は気付かして頂いてです。なる程、天地の守りを受けておるのだなあ。守りを受けなければ、私共は生きてはいけないのだと、例えば、理屈で分かりましてもです。そういう、「御守護を受けておる事の有難さ」と言うものが、お互いの心にないとするならば、これは幸せの生活にはつながっていかない。
今日、私が申しますのは、いわゆる神が社に入っては、この世が闇になる。そういう光り輝く光を与えて下さっておる。投げて下さっておる。その光をよう頂かずに、自分の心で、この世を暗いものにしておる。明るい世界に住まわしてもらう。そこに人間の、いわゆる、「光明の世界」と言うか、おかげの世界があるのである。
神は天地の守りじゃからと、こうおっしゃる。確かに理屈を聞けば、小動物の上にでもお守りを下さっておる神様であるから。ましてや人間、万物の霊長の上に、御守護、お守りを下さっておらないはずはないのだけれども。それを、御守護を受けておると言うことも感じずに、いわゆる、神恩報謝の生活。「有難い、勿体ない」という生活に入る事が出来ない。いわゆる、幸せにつながる事が出来ない。
「神に会おうと思えば、庭の口を外へ出て見よ。空が神、下が神」とおっしゃるのだけれども。その天地の姿を神の姿と見きらない。その働きそのものを神の働きと悟りきらない。そこに私共が、いわゆる我情我欲の生活がそこから始まる。誰しも、御神縁を頂く一番初めはです、もうほとんどの人が、その我情我欲の為に御神縁を頂くのです。
「金光様はえらい合格されるらしいので、一丁、入学試験のお願いに行こう。試験が通るように。良い医者にも見放されたけん、金光様になっと、一丁、おすがりしょう。人間関係がややこしい、姑と嫁との間がうまくいかない、親子の間が具合良くいかない。もう、金もいらん、物もいらん」と言う訳。「もう、内輪中が円満でありさえすれば、なんもいらんですよ」と言うところから、そんなら、ひとつ、金光様にお参りしてごらんなさい。
金光様の御信心は、「家庭に不和のなきがもと」とおっしゃるぐらいだから、「家庭の円満のおかげが頂かれる」と言うので、そういう しいことがあったたいと、御神縁を頂く人が〈まことに〉ございます。または、金銭、いわゆる、〈借金〉にさいなまれる、「その苦しさが御神縁を頂いた」と言う事になるのです。そこから、いわゆるお育てを頂かなければならない。そこから、いわゆる我情我欲のない生活に入っていかなければならないことを、教祖は教えられる。ね。教えはそういう教えが説いてあるのです。
%2%Hここにひとつの実例をもって、お話してみましょうね。北野の江口に当時、深町キリエさんという方が、椛目の時代に、それこそ一生懸命に参ってきました。もうそれこそ、男じゃら、女じゃらわからんごとしてから、もう裏表の分からんごと、参拝の時なんかね、もう、こう頬被りしてから自転車で、ある時、参って来よんなさいましたげな。したら、向うの方から、男の人が来よんなさったそうです。
%2曲り角で、ぱあっと会うたら、もうびっくりしてから、もう飛びのけてから、溝に落ち込みなさった。それから、起こして上げた自転車で、「あ!、あんたでしたか」というちから、びっくりして。もう男の姿の格好ばしてから、参って来よんなさいました。もうそれこそ「金光様、金光様」、それこそ一生懸命、嬉しいやら、悲しいやら、もうとにかく雪の日も霜の朝もそれこそ、もう別け隔てのない一生懸命でした。
%2そういう一生懸命が、「どういうような事から、御神縁を頂かれたか」と言うと。いわゆる戦争中でしたから、婚期を逸してしまわれた。それもお父さんとお母さんと兄さんが戦争に行かれた。ですから、その間を守っていかなければならない。百姓ですから、その五、六反だったでしょうかね、それをおじいさんとキリエさんが守っておられた。
%2そして終戦になってから、兄さんが帰ってこられた。ところが、兄さんが、キリエさんには一反もの土地をやろうともしなかった。「全部俺のもんぞ」という事になってしもうた。さあ、それこそ、もう、毎日、毎日、喧嘩であった。これは村内の方から、今日は沢山まいってきておりますね、その方達がお話しますのに、もう、それこそ、 ほど喧嘩します。
%2これはもう、やっぱり百姓を一人でやってきておるのですから、力も強い。色はあくまで黒い。黒いと言うと(笑)、もうそれが、はがゆうてはがゆうて、晩も眠られんぐらいにある。長い間、自分が守ってきた。その間にですね、他所が戦争で田を作らんごとなった訳ですね。そげんとも買ったり借りたりしてから作られた。
%2だから、「せめて、そげんとだけなっと私にやらんの」と言うても、「絶対いや。これは全部、俺のもんぞ」と言う訳なんです。それがはがゆうてはがゆうて、たまらん。朝起きて顔見りゃ、もう、腹が立つ。
%2そういう中に、「どうぞ、そのうち三分の一でも、私の名前やらにしてくれますように」と言うことが、願いの始まり。それこそ一生懸命。ところがです、ひと月参り、ふた月参りしておる間にです。それが、半年、一年となってくるうちに、もう本当に、「もう、なぁにもいらん」言うごとなった。もう本当に、どうして私は、「あゝいう浅ましいことの願いのために、参ってきたじゃろうか」。
%2あれが御神縁の始まりでございましたけれども。これは江口の方達がですね、今、沢山参ってくるんです。もちろん、キリエさんあたりの熱心な信心が、あってからのことでございますけれども。とにかく、「キリエさんば見りゃあ、金光様の教えちゃあ、立派な良か教えじゃろう」と言うて参ってくる。人間が変わられたんです。思い方が変わられたんです。性根が変わってきたんです。
%2そして、今迄、いわば憎しみ合っておった兄弟達の事が、一生懸命願われる様になった。その兄さんも、兄嫁さんも、時々、こちらへお参りしてくるんですがね。いわゆるキリエさんのおかげで、御神縁を頂いた訳なんです。
%2それから、何年ぐらい経ちましたでしょうか。おかげを頂いてから、ある所に縁がありましてですね、お嫁にいかれた。ところが、お嫁に行ってから、気が付いた事はですね。分かられた事なんです、知らなかった。ところが、自分は結婚生活に入られない、身体であることが分かった訳です。その為に、離縁になって帰って来られました。
%2それから、一生懸命又、一生懸命信心をなさいました。それから、又、あるところから縁談がありました時に、御神意を伺われました。 「身体の事はおかげ頂いとるから、おかげを頂け」と言う事であった。子供さん達が、四、五人ぐらいあります、後妻でありますけれども、大きな立派なお百姓さん。それこそ、三反、五反の事で争うぐらいの事じゃない。それこそ、大変な、いわば大百姓の中心になって、現在おかげを頂いておられます。
%2それは、様々な人間関係、御主人とのいろいろの事ですけれども、姑親、それから、もう、大きな子供達との上にも大変な問題があったんですけども。お取次を頂いて、日頃頂いておる信心なんです。その信心が、もう見事に、その実を結んでいきよる。一人、一人、娘をかたずけられる。息子には嫁をよんでやる。
%2おじいさんが亡くなられる時に、もうキリエさん、私はあんたのおかげで、あの世行きができると、手を握って喜んで亡くなられた。娘達もおるけれども、「もうキリエさん、あんたでなからなでけん」と言うてから、亡くなられた。これなんかはですね。こういう、ひとつの例がね、金光様の御信心が、「どういう御信心であり、どういう在り方にならなければならないか」と言う事が分かりますね。
%3先程、お祭り前の教話が、久富先生でございましたですね。久富先生がお話なさいました、お話の中に、「信心をさせて頂く者の姿勢」という事が、最近言われる。どういう姿勢をもって、神様に向かわなければならないかという事が言われるが、今日は、先生は「形の事」を言われる。いわゆる御祈念をする姿の事を言われる。「この姿勢が、まず第一だ」という事を言われた。
%3朝の御祈念にお参りさせて頂いて、親先生が祝詞座に着かれ、そして御祈念が始まる。親先生と同じ姿、形でもって、神様を拝まして頂いておりますと、まず、第一に手のここから、何かしらんけれども、伝わってくるものを感じる。先生の祈りと同じものが伝わってくる。頭のてっぺんから たち、言うならば、天地の親神様は、「電気体」と親先生がおっしゃるが、確かに、そういうようなものだ。
%3言うなら、「威力なんだ」。そういう神様が、心が姿の中から入ってくる。御祈念させて頂く、いかに、「御祈念の姿勢、姿というものが大事か」という事を、今日は、わずかの時間にお話になりました。もう見事に、「そう」お話になりましたですねえ。
%3信心する者は、こう、なからなければいけないと、そういう姿勢は説きますけれども、「御祈念の姿の姿勢」と言うものは、あんまり教えてくれません。そこからです。例えば、あの一時間の、長い長い御祈念が、じっーと、御祈念さして頂いておりますと、物音も聞こえんようになってくる。後ろから、槍先で突かれても、動じないですむような心が生まれてくる。
%3初めの間は、あれも願い、これも詫びておるけれども、もう、しまいの方には、詫びる事も、願う事も、なぁもなくなってくる。いわゆる我情我欲のない。そのままの姿が、「御祈念のあの姿勢の中から頂けるんだ」と言う、お話をなさいました。皆さん、これは確かにそうなのですけれども。
そんなら、果たして、久富先生がなさる、そういう姿勢の真似をなさってから、「皆さんも、一様におかげ受けられるか」と言うと、そうではないと私は思う。
それは、先生が、十八年間ですか。椛目時代から、一生懸命に打ち込んだ信心をなさって、様々な修行もなさって、一心に神様にむけられて、そういう信心がなされてから初めてです。≪先生≫は、「私と御祈念の時だけは、もう、同じものであろうと言うようなものが、通うてくるようになったんだ」と、私は思うのです。
皆さんも、そうだからと言って、その真似をしたからと言うて、それこそ頭の、私は、やっぱり、頭の 、電気がかかり良かけん。「頭のとっぺからですね、全部、電気にかかったようなものを感じる」と言われる。けどもまあ、頭からかかってこんでん、ここからかかってくれば良いですね。指の先から、合掌するここから、いわゆる、私と神様が通うおる。通うておるそのまま通うてくる。
そして、願う事もなからなければ詫びる事もない。我情もなければ我欲もなんもない。物音も聞こえんようになってくると言う事なんだ。だからと言うて、そういう「姿、形」と言う事がです。皆さんも、私もそうしてみようと言うて、果たして、頂けるかどうかは疑問ですけれども。
おそらく、「頂けない」と思うけれども。やはり、これは真似でもいいから、なされなければならんと言う事と同時に、ここに久富先生の十七年間、十八年間の信心の歩みと言うものを、皆さんが、「感じてみなければいけない」と思うのです。
%H私と久富先生の出会いは、私が北野の教会に、お話に行っておる頃でございました。まぁだ椛目に、帰ってまいりましたけれども。あちらこちらにお話に。もう北野の教会に泊まらしてもらうと、一週間くらい泊まって、お話しておりました。その時分に、それこそ、今の中村さんとかねえ、秋山さん、古賀さんと言うおばあさんなんかがおりましたが、もう、それこそ、椛目にぼうけてしまうておった。
%Hもう、一生懸命お参りさせて頂いてから帰ってきて、帰ってきて堤防の上から、「はあ、親先生が、まぁだ御祈念しょんなさるじゃろうか、御理解が出よるじゃろう」と思うたら。「中村さん、まあ一度、今から行こか」と言う、そういう時代。それは本当ですよ。もうとにかく、それこそ、[今別れ、道のはんちも別れぬうちに、こうも会いたくなるものか]と言うような心情が通うておった。
%Hこれはもう、あの時分の北野の方達はですねえ、それこそ、誰がなんと言うても、様々な障害がありました。それこそ、[大木、大橋、焼けよとままよ、椛目通いは舟でする]と言う勢いで、参ってきた。もう、夜も、夜中もなかった。そういう時代でした。
%4%Hあちらの義理のと言うか、奥さんのおかあさんが、ここにお参りしてきます。それで導かれて、北野の教会にお話する時に、是非一遍、「久富さんにお話してくれ」という事であった。丁度、日曜日の事であって、進駐軍の関係に勤めておられました。丁度、私が、久富先生の所に参りましたら、もう洋服を着てから、どこにか出掛けようとしておられるところであった。
%4%Hそれこそ、うさんくさそうに、「こうやって見てから、何か用でしょうか」と言われる。「今日は、この、あなずまさんとおばあちゃんのあれで、今日は、実は私は、金光様のお話をしに来ました。」「今日は、私は、ちょいと出掛けますから、又、来て下さい」と言う風であった。
%4%H「まあ、そげんおっしゃいますな。ちょいと、お掛けなさい。時間は取りませんから」と言うて、私は、すぐ上がって、ここに大神宮さんがお祭りしてあります。その大神宮様の神棚に、私が、ここに頂いております御神米を上げて、それから簡単な御祈念をさせて頂きましたら。『沢山な霊様達がね、この久富の家にすがってきておる事』をお知らせ頂いた。
%4%Hそれで、私は、「実はねえ、今、私が、お願いさせて頂きよりましたら、こういうようなお知らせを頂いたんですよ」と言うたら、それこそ、久富先生が、それこそ、いよいよ私の方に向きを返えられたんです。そして、自分が上がり込まれたんです。そして、「話を聞こう」と言う姿勢をとられました。それが、久富先生と私との出会いでございます。
%4%H丁度、その一週間前の日曜にです。次々と難儀な事がある。子供が小児マヒなんかになるもんですから。そのいわゆる、福岡のある南無妙法蓮華経のえらいお徳を頂いておられる、坊さんの所へお参りされた。ところがやっぱり、「私と同じような事」を坊さんが言わっしゃった訳です。「あんたん所に沢山な、その言わば、赤の他人じゃけれども、そういう霊がすがってきとる」。だけん、あんた方に次々よけいなことがあるから、それで、「どういう風にしたなら良かろうか」と言うて、相談されたところが。
%4%Hそれは、払い除けるだけでもいかんけん、封じ込んでしまわないかん、そういう霊を出てこられんように。その封じ込むことは、一つの儀式がある。「この次の次の日曜に、あんた所へ行って、そのお払いなり、または、家を払うたり、また霊様達を封じ込むところの儀式をさして頂こう」と言うて、約束をして帰っておられる。その日曜と日曜のあい中の日曜に、私が行った訳なんです。
%4%Hはあ、そうですか、日蓮宗の坊さんも、「そういうような事を」言いなさった。そんなら、あなたならどけな風にして下さいますか。「私ならね、この霊様をちゃあんとお救いします」と言うて、金光様の御信心とは、「そういう信心なのです」と言うて、お話をしだしましたら、それこそ目を輝かして、お話を頂かれました。
%4%H若い時にはですね。キリスト教の伝導までして歩かれた先生です。もう、キリスト教の信心が一番だと言う確信を持って、人に伝えておられた方なんです。ところがです、「キリストも説き得なかった事を、この人が説かれる」と気付かれたんです。何々宗に行ったところが、その霊は、全部封じ込まなければいけない、払はなければいけない。
%4%H「払い除けるのじゃあない、封じ込めるのじゃあない。ここに救われない霊を封じ込めたら、永劫、この霊は助からない事になるじゃあないですか。金光様の御信心は、金光様のお徳におすがりして、救われておらんなら、天地の親神様にお願をさして頂いて、それを払い除けるのじゃあない。封じ込めるのじゃあない。それを自由な、助かりの霊として、お取次をさして頂くのが、お道の信心ですよ」という話を、私はさして頂いた。
%4%Hそしたら、そういうような、しかし、あなた、「私所の仏壇は、こまか仏壇ですから、そげん沢山入りなさるじゃろうか」と言われました。だから、「それは、石炭箱でもかんまん」と、私は申しました。お宅の御仏壇に、その全部の霊様をですね。あのですね、ここの所に、朝鮮人の方達が沢山、この家に住んでおったんです、戦時中。
%4%Hところが、戦争はいよいよたけなわになってまいりましたもんですからね、皆が帰国したんです。『その船がですね、沈没したのです。皆、全滅したんです』。私は、その時、こまごま頂いた事はそうでした。そしたら、「もう、そうどころじゃない」という事でしたですね。
%4%H金光様の御信心に、私は、どうこう言う訳じゃないけれども。その時に、そういう、お取次をさして頂かなかったら。久富先生は、もう、それこそ、信心は詳しいし、それこそ、次の日曜に日蓮宗の坊さんを呼んで来て、払い除けたり、封じ込めたりする儀式をなさったに違いない。
%4%Hさあ、それから、それを断わりに行かれました。そして、それ以来、椛目に、もう、それこそ繁々と参って来られる様になりました。参って来られる何日目かでした。先生は、ここに見事なちょび髭を生やしておられました。私は、「久富さん、私は、このちょび髭が一番好かん。信心じゃ、なあにもならんけん、それを剃って来なさい」と私が言いましたら、明くる日、本当に剃って来きた。
%4%Hもう、先生、これば剃る時に、家内が、「パパ、それだけは、私がこんなに似合っている〔と思っている〕けれども(笑)」。あちらの奥さんは、アメリカ生まれですから、「パパ、パパ」なんですね。「もう、それだけは、いやだ」。本当(笑)、それで、若先生でから、今なお、まだ、髭を生やしておられませんですね。
%5そういうような事から、久富先生と私との、いわば、そもそもの事から、そして、十何年間かの間に、それこそ目の前が真暗になるような事も、何回かあったんです。「子供さんが事故で亡くなられる」と言ったような時なんかは、丁度、御結界奉仕の時であった。「先生、あの時に、もし私が、こちらにおったらね、もうそれこそ、びっくり仰天した事じゃろう」と、やっぱり、ね。
%5その亡くなった知らせの時には、それこそ、私は外出しておりましたが、帰るのを待っておられました。そして、もう、心の中に、〈なぁもない〉、落ち着いた心で、お取次さしてもらい。それこそ心込めてのお取次を頂いて、帰られた。「信心はこの辺が有難いんだ」と思うんですよね。
私は、今日、皆さんに、この御理解を聞いて頂きましたね。十節から十二節までの間のこと、「神が社に入っては、この世が闇になる」。その闇の世であるにもかかわらず、お互いが闇の世に住んでおる。一寸先が闇の世である。そういう中に、それこそ心が一遍に、真暗になってしまうような事があっても、「信心の光」というものは、自分の心をどのような場合でも、驚かんですむだけの明るさ、光を心に投げかけられてある。それを自分の心の中に頂いておられる。
「神は天地の守りじゃから、離れる事は出来ぬぞ」。その天地の守りであるところの神様の実体がです。キリスト教の信心を通して分かられて。これはキリストが説いた、いわば、主(ぬし)と言うでしょうか、主。「天にまします、我等の父よ」と言う、その神様よりも、「もっともっと素晴らしい、神様の実体と言うものが、まだあるんだ」という事が分かられ。
そこに、「にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神」。どういう難儀な問題が起こってきても、その問題を。どういう人が打ち向かってきても、その人を。「神の姿」と見。その事を、「神の働き」と感じられる様に、段々なって見えられた。「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神」。
全ての中に、「神様の働き」を感じられる様になって、そういう信心過程がでけて。そして、ここに御祈念をなさる時に、私の祈りと。それこそ、「教祖の神様」がおっしゃっておる。「此方が祈るところ、天地乃神と一心なり」と言う、み教えがある。此方が祈るところ、天地乃神と一心なのである。
「この方、大坪総一郎が祈るところ、天地金乃神と一心なり」である。この方が祈るところ、「久富一郎の心の中に、天地乃神とひとつになるものがある」のだ。そこに我情我欲を離して行くところの、十何年間の修行をなされた時にです。ただ、姿勢、形だけは、先生と同じにすれば、「もう、親先生の気持と同じものであろうか」と言うものが、頭のてっぺんから、爪先から、「天地乃神様の威力」とでも感じられるものを、この五体に感ずる事ができる。
そういう、「我情もなければ我欲もない」と言う姿が、日々の信心生活の上に現わされて行く様になる時に。久富先生は、「必ず、御神徳を受けられるであろう」と、私は確信する。拝んでおられる時は、そうなのだけれども。一歩離れられたら、あの時、御結界に座っておったから、でけたけれども。あれが、例えば、畠の真中であろうがどこにおろうが、それと同じ様なものが、感じられるようになられる時にです。私は、いわゆる、「久富一家」と言うか、「久富先生の本当の助かり」と言うものが、私は、あるように思うのでございます。
全面的に、全部の中に、それがあるというのじゃない。いわゆる、この願う事もなければ、詫びる事もない。我情もなからなければ、我欲もないと言うような姿が。そういう心の状態を持って、日常の信心生活に持ち込まれて行く時に、天地の御信用を、いよいよ受けていかれて、御神徳を受けていかれる信心生活が、そこからなされるのである。
今日は、その御理解の三ヶ条をテーマにしましたね。まあ、いろいろと聞いて頂いたんです。それをひとつおかげを頂きましてですね。「信心の姿勢」という事もそうですけども、形の上に於てもそう。けども、そこには、私が深町さんを例に引きました。久富先生の例話を持って、皆さんに聞いてもらいました。どうぞ、そのことをですね、頂いて。
金光様の御信心とは、こういう御信心なのだ。一番初めは、誰しも同じ事、恥ずかしいことじゃない。自分の我情我欲が、満たされれば、それで神様のおかげの様に思うておった。そういう信心から、お互いが脱皮していかなければいけない。育っていかなければならない。
「這えば立て、立てば歩めの親心」なのである。そういう働きが、必ずあります。そういう時に立たなければならない。そういう時に歩き見習う稽古をさしてもらわなければならない。そして、いよいよ、この世を有難い、光明の世界にしていくところのおかげ。「此方の道は傘一本で開ける道」とおっしゃるが。「傘」という事は、ここでは「安心」。
そういう信心生活の中から、生まれて来るところの「絶対愛」、神様の「絶対信」、その神様を絶対信ずる。神様の絶対愛を信ずる。そこから生まれて来るのが、「安心」なのだ。そういう安心の境地を目指して、お互いが信心の稽古を、さしてもらわなければいけんようですね。どうぞ。